2012年7月29日日曜日

ユニオン-ジャック

 いよいよロンドンオリンピックが始まりました。佐倉市ゆかりのオリンピック選手に、陸上女子5千メートルの新谷仁美選手がいます。それと体操選手団のコーチとして冨田洋之氏も参加しているそうです。素晴らしい成果を挙げられるよう、テレビの前で応援しています。
 ところで、オリンピックの中継や報道で、よくイギリスの国旗を目にしますが、これを見て、ふと思い出したのは、裏新町にあったパブ?「ユニオン・ジャック」です。
 今から35年程も前の事ですが、裏通りに佇む古びたお店に、当時の佐倉にはないおしゃれな印象を感じました。
  さて、今その建物は、佐倉市の登録文化財「山口家住宅」として保存されています。明治時代の建築だそうですから、古びた印象は当然のことでしたね。
  ちなみに、説明書きによれば袖蔵と店蔵が並んだ形は佐倉では珍しい建て方ということです。「山口家住宅」は佐倉市立美術館脇の道路の端(キリスト教会の裏側)にあります。

2012年7月22日日曜日

臼井の虎

 京成臼井駅南口から歩いて6~7分ぐらいでしょうか、これといった特徴のない、小さな公園があります。
 公園の名前は「一夜城公園」といい、公園の隅には大きな石碑が建っています。 一夜城といえば、豊臣秀吉が建てたことで有名ですが、この辺りでそんな話は聞いたことがありません。そこで、石碑を見てみますと「上杉謙信公 一夜城史跡」とあります。上杉謙信といえば、武田信玄のライバルで川中島の戦いで有名ですが、その謙信さんが、越後(新潟)から臼井まで出て来ていたとは知りませんでした。
 石碑の裏側には一夜城の由来が書いてありますが、他に聞いた話と合わせて簡単にいいますと、線路の向こう側にある臼井城を攻略するのに、この地にあった王子台砦をまず攻略した後、ごく短い期間で臼井城に対しての備えを整えたので、一夜城というようになったそうです。
 ちなみに、この石碑は、この辺りの区画整理を行った臼井駅南土地区画整理組合が事業完成記念の一環として建てたもので、昭和58(1983)年7月18日に除幕式をしています。
 ところで、謙信公の出ていた数年前のNHK大河ドラマを毎週欠かさず見ていましたけど、こんなエピソードには気がつきませんでしたねぇ。さて、その後、一ヶ月ほど留まっていましたが、足利幕府から書状が届き、京都に上洛することになった謙信公は、越後へ引き揚げていったということです。

2012年7月15日日曜日

興胤と楠

 以前に、「髙田屋の大モミジ」の話を書いたことがありましたが、今回は、臼井(住所は八幡台二丁目)八幡社の大楠(クスノキ)の話です。
 話は、随分時代を遡ります。足利尊氏に仕えて九州で合戦をした、臼井興胤(おきたね)が宇佐八幡宮(大分県宇佐市)を、自分の領地に勧請したのが、臼井八幡社で、そこに、これも宇佐八幡宮から持ち帰ったといわれる「楠」を植えたのですが、それがとても大きく成長し、幹回りが9メートル程の巨木になったそうで、江戸時代には街道の名物になったという話です。
 残念ながら、こちらも既に枯死してしまいましたが、このような経緯から「楠」は臼井のシンボルツリーとなりまして、現在は、京成臼井駅の南口前に、立派な楠(クスノキ)が植えられています。なお、この木は、臼井駅南土地区画整理組合が臼井駅南側整備の一環として植樹したもので、昭和55(1980)年7月17日には、南口ロータリーの竣工式が行われました。

2012年7月8日日曜日

そうだプールに行こう。

 私が通っていた頃の根郷小学校には未だプールがありませんでした。それで、南部中学校までバスに乗って行き、そこでプールの授業を受けた記憶があります。
 今は市内の各小・中学校にプールが整備され、さらに市営のプールまで出来て、恵まれた環境になりました。
 写真の上座総合公園内のプールがオープンしたのは、昭和54(1979)年7月1日のことでした。
 ところで、一般向けの屋外プールの利用期間は、なぜか8月31日に終了してしまうことが多いようですけど、近頃は残暑が厳しいのですから、9月中旬まで利用期間を延ばしてもいいように思うのですが、夏休みが終わると学生アルバイトがいなくなってしまうからなんでしょうかねぇ。
  なお、市営プールは岩名運動公園にも整備されています。こちらは昭和56(1981)年7月1日にオープンしました。
 ちなみに、上座も岩名のプールも大人310円、小・中学生は100円で入れます。上座総合公園は駐車場が狭いので要注意です。

2012年7月1日日曜日

浅間サマ

 毎年7月1日の朝に花火が上がります。何の合図なのか、不思議に思う人が多いようですが、佐倉では浅間神社にお参りに行く日なのです。
 浅間様への参詣は、子供の健やかな成長を願い、7歳になった時に行くものだそうですが、浅間様にはもう一つ富士山信仰も併せ持っているそうです。それで、たいていは富士山が見えそうな高台に社が建てられています。
 写真は鏑木の浅間神社です。佐倉厚生園や特別養護老人ホームさくら苑が建てられている小高い丘の一角にあります。現在は木が生い茂っていて、周囲の風景が見えないのですが、往時はきっと富士山まで見渡せたのでしょう。
  ところで、私は浅間様にお参りした記憶が定かではありません。どうやら千歳飴のようなお楽しみがなかったからのようですが、それでも、7月1日の花火の音を聞くと、今年も夏がやってきたことを実感して、何だかワクワクしてきます。