2011年1月29日土曜日

松の木

 旧堀田家住居(堀田邸)のある「さくら庭園」には、いろいろな樹木が植えられています。桜、ツツジ、サルスベリ、モミジなど四季折々に目を楽しませてくれる樹木のほかに、松が多く植えられています。
 写真の松は、以前にお知らせしました被り松(かぶりまつ)で、枯れてしまったものを平成20(2008)年に復元したものです。 
 堀田邸と松の関係は庭だけではありません。玄関先の衝立にも松が描かれています。来客から見える側には金色の地に紅白の梅と鶴が鮮やかに描かれていますが、屋敷側から見る衝立には、砂浜に立つ一本の松の老木が墨絵で描かれています。ただし、霞を表すのでしょうか、ところどころに金粉が置かれています。
 ところで、佐倉あたりでは松の老木は少ないようで、佐倉市の名木・古木に選定されているものにはスギやスダジイやケヤキなどの樹種が多く、松は臼井の稲荷神社のクロマツだけのようです。

ラベル:

2011年1月22日土曜日

鶴の話

 亀の話のついでに、鶴の話もあります。佐倉で鶴といえば、馬渡にある酒蔵「旭鶴」を思い出します。馬渡に友人がいたので、小学生の頃からその名前には馴染みがありましたが、成人して酒を飲むようになり、さらに馴染み深くなりました。聞くところによれば、「旭鶴」の「旭」とは、佐倉市に合併する以前の旭村に因み、鶴のように羽ばたくようにという意味だそうです。酒造りは天保元(1830)年の創業で、すぐ側の八坂神社の森から生じる水を庭先の井戸から汲み上げて酒造りに使用しているそうです。
 もう一つ有名な鶴の話ですが、旧堀田邸を訪ねた際に、天候が穏やかで且つ運が良ければ、玄関の障子が開けられていることがあります。そこには、紅白の梅の花の下に番いでしょうか、二羽の丹頂鶴が描かれた衝立を見ることができます。
 ところで、衝立の後ろ側にも吉祥に通じる絵が描かれていますが、亀ではありません。

ラベル:

2011年1月15日土曜日

亀の思い出

 子供のころ父親が田圃で見つけてきた亀を飼っていたこともあり、亀には親しみがあります。亀にまつわる佐倉の思い出として、私が通っていた佐倉幼稚園の脇にある麻賀多神社には、かつて亀のたくさんいる池がありました。今は埋められてしまい、トイレとベンチが設置されています。
 それから、佐倉銘菓として名高い「蔵六餅」は亀の甲羅を模した最中です。漉し餡、粒餡、白餡など種類があり、中に求肥の餅が入っています。聞くところによれば、この菓子の由来は、佐倉藩主であった堀田家に伝わる「蔵六石」という亀甲紋様の石に因み、佐倉市の市制施行を記念して木村屋さんが創作されたということだそうです。
 写真は、「蔵六石」ではありませんが、石像の亀です。白銀団地と国道51号を結ぶ長隈橋の袂にあります。どうしてここに亀の像があるのか由来は書かれていません。ちなみに反対側の袂には兎の像があります。

ラベル:

2011年1月8日土曜日

金比羅様の縁日

 昨年はNHKの連続テレビ小説の影響で調布市の深大寺が観光名所になりましたが、佐倉市新町にも深大寺と同じ天台宗のお寺があります。読みは同じ「じんだいじ」ですが、こちらは甚大寺と書きます。佐倉藩主だった堀田家の菩提寺で、境内の奥には千葉県指定史跡の堀田正俊公・正睦公・正倫公のお墓のほか堀田家累代の墓所があります。
 この甚大寺が市民に親しまれている理由に、毎月10日の金毘羅様の縁日があります。今から40年くらい前になりますが、小学生だった私は祖母に連れられて、何度かこの縁日に来たことがありました。今でも中高年向けの衣料品などを扱う露店が出ますが、当時はもっと露店の数も種類も多かったように思います。縁日に合わせて商店街でも売り出しをしていたのでしょうか、祖母はよくマルマン(曖昧です)という荒物屋で生活雑貨を買っていました。
 甚大寺は京成佐倉駅から歩いて15分くらい、佐倉小学校の隣にあります。

ラベル:

2011年1月1日土曜日

謹賀新年

 今年の干支はウサギですね。写真は佐倉図書館の玄関脇にあるウサギの看板です。このキャラクターについて記憶はありませんが、建物については多少の記憶があります。佐倉の図書館は昭和51(1976)年の開設当時は現在の佐倉美術館の所にありました。佐倉市立美術館の建物は元佐倉市役所の庁舎でしたが、新庁舎が海隣寺町に建設されると公民館になりました。そして中央公民館が昭和51年に新築されたので、その跡を佐倉図書館として活用することになったようです。その後、佐倉図書館は昭和58(1983)年に現在のこの建物に転居してきました。では、図書館になる以前のこの建物は何だったのかというと、佐倉郵便局でした。この局舎は昭和31年に建設されたものですが、佐倉市の人口増加により郵便業務量が増えたため、京成佐倉駅近くに新しい局舎を建設して転居していきました。その跡を佐倉図書館として利用しているということです。

ラベル: