2013年2月24日日曜日

高速バスに載ってます。

  車体に広告などを掲載したラッピングバスが走り始めてから30年位になるでしょうか、佐倉市内では、市内坂戸にあるDIC川村記念美術館の所蔵美術作品をモチーフにしたインパクトのあるバスが走っています。
 美術館自身で運行している送迎バスには、印象派の巨匠や抽象画家の元祖などの絵が描かれていますが、京成バスグループが走らすバスには、バロック美術の名手レンブラントによる「広つば帽を被った男」が描かれています。
 このバスは、東京駅からほぼ直通で川村記念美術館に向かい、終点の国立歴史民俗博物館まで運行しているマイタウン・ダイレクトバスという高速バスです。
 車体に描かれているのは、17世紀のオランダ、アムステルダムの裕福な商人ということですので、オランダと交流のある「佐倉」の街中を走るバスとして、多くの人に愛されてほしいものです。
 

2013年2月17日日曜日

ハンサム梅ん

  佐倉城址公園は桜の名所として知られていますが、以前は梅の花見で知られた場所でした。現在は、県立佐倉東高校脇の自由広場と姥ヶ池の奥、そして国立歴史民俗博物館に上がるバス通りの脇に梅が植えられていますが、博物館が建設される前は、バス通り脇の梅はもう少し本数が多かったようです。
 ところで、佐倉で梅といえば、ゆかりのある人物として「津田梅子(つだうめこ)」さんの名前が上がります。佐倉藩士の娘さんだそうですが、江戸の牛込南御徒町で生まれ育ったようで、直接佐倉と縁があるのか?という気もしますけどね。梅子さんは、明治4(1871)年に7歳でアメリカに留学、明治15(1882)年に帰国した後は、女子教育に尽力され、明治33(1900)年に津田塾大学の前身である女子英学塾を開設されました。留学時代にキリスト教の洗礼も受けていますし、ハンサムウーマンと言って間違いないでしょうね。
 

2013年2月10日日曜日

リニューアルオープン

  国立歴史民俗博物館の第4展示室が3月19日にリニューアルオープンするということです。
 現在閉鎖中の第4展示室がオープンしたのは、昭和60(1985)年3月12日でしたから、28年を経ての展示替えになりますね。
 かつての第4展示室では、写真の鹿嶋様の存在が大きかった印象があります。身長は3メール位でしょうか、その大きさからくる威圧感と共に、丸いデベソがユーモラスでもあり、親しみのある大魔神という感じでした。そんな大魔神も藁造りがゆえに、虫に喰われてしまい、晩年は姿勢も崩れ、最後は撤去されて、代わりに実物大の写真が飾られるようになってしまいました。
  リニューアルオープン後の展示では、鹿嶋様には会えないかも知れませんが、また新しい神様?との出会いがあることでしょう。楽しみです。
 ところで、ミュージアムショップでは、ありし日の鹿嶋様の雄姿が絵ハガキで販売されています。郵便番号の桁が少ないので、値引き商品になっています。

2013年2月3日日曜日

忠霊塔

  市役所が建っている所は、元陸軍墓地だったそうです。それだからでしょうか、庁舎の奥にある海隣寺の墓地の脇に、忠霊塔が建てられています。説明書きによれば、過去の戦争による戦没者の遺品・遺骨が安置されているということです。
 忠霊塔は遺族会の方々が管理され、普段は出入りができませんが、春と秋のお彼岸と8月15日には開錠されて、お参りができます。
 私の祖母の親類もこの中に納められているということで、祖母が若い頃、私も連れられて中に入った記憶がありますが、既に祖母も他界し、詳しいことは分からなくなってしまいました。今になって、とても申し訳ない気がします。
  忠霊塔は、丸みを帯びた2枚の三角形が掌を合わせるような形の屋根をしています。この形を造るのが難しく、京都から宮大工を招いたという話を聞きました。
 ちなみに、忠霊塔が完成したのは昭和45(1970)年2月5日ということです。