2012年3月25日日曜日

笛吹童女

 以前に、JR佐倉駅北口の彫刻通りのことを書きましたが、今回ご紹介するのは、彫刻通りに初めて設置された像の話です。
 彫刻群の中で一番最初に設置されたのは、「翔」という像で、現在は駅の階段上に展示されていますが、写真の「笛を吹く少女」の像は、昭和58(1983)年3月26日に城南橋の近くに建てられました。道路沿いの像としては、この少女の像が最初ということになります。
 作者は日本彫刻会員の「助川武史」氏で、市制施行30周年を記念して、佐原信用金庫から寄贈されたものだそうです。
 この像に続いて、千葉銀行から「踊り子の朝」、両総信用金庫から「潮」、千葉そごうから「希望の詩」など、次々とブロンズ像が寄贈されていきました。
 ちなみに、この像のモデルは、助川氏の娘さんだそうです。女性の裸像が多い彫刻通りの中で、楽しそうにソプラノリコーダー(?)を吹く姿に、ほっとさせらます。眼のやりばに困らない、こんな楽しげな像がもっと並ぶといいなと思います。

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2012年3月18日日曜日

歴博のキャラクター2

  佐倉城址の国立歴史民俗博物館が一般公開を開始したのは、昭和58(1983)年3月18日のことでした。
 きくところによると歴博設立の経緯は、昭和41(1966)年の明治百年記念事業が始まりだそうです。文化庁で基本構想や用地の選定などを進めていたそうですが、当時の菊間市長が熱心に誘致を行い、都心からも比較的近く、歴史的にも由緒ある佐倉城、佐倉連隊跡地に建設が決まったという話を聞きました。
 さて、歴博のキャラクターについて、以前に「氏勝くん」をご紹介しましたが、今回は「歴博ナマズ」です。写真の彼(彼女?)は、館内のビデオコーナーで、歴博紹介のビデオに出演していますので、興味のある方はご覧ください。
  愛嬌のある容姿ですし、ゆるキャラとして大成しそうな雰囲気もあるのですが、ビデオやHPぐらいでしかお目にかかれないのが残念です。
 ちなみに、歴博ナマズの先祖は、七つ道具を背負った「弁慶ナマズ」だそうで、新しい世の中をもたらし、壊れた家を直すイメージキャラクターだそうです。なんだか、今の時世にもってこいのような気もします。

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2012年3月11日日曜日

あれから一年

 あの日から一年が過ぎました。多くのニュース番組で、歩みは遅くても少しずつ復興が進んでいる風景と心の傷を抱えながらも前に進もうとしている人々の姿を取り上げていました。私もあの日、こうしていたらという後悔の念を抱えたまま、一年を過ごしてきましたが、今日を機会に区切りをつけたいと思っています。
 さて、博物館や美術館を訪ねた折に、文化財や美術品復興のための募金箱をよく見かけました。以前に特集番組もありましたが、文化財などの修復の予算は後回しになってしまい、文化財や美術品に携わる方々は頭を痛めているということでした。
 佐倉市でも、震災で市内各所の文化財が破損していますが、文化財ゆえに、許可がないと修復できないという理由もあって、簡単には進んでいないようです。
  写真は堀田家墓所の昨年の震災後の状況です。多くの墓で灯篭が倒れ、石の囲いも割れてしまったものがありました。現在は修復工事中で立入禁止になっていますが、1日も早く修復されることを願っています。

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2012年3月4日日曜日

市民憲章の日

 3月1日は佐倉市民憲章推進の日です。この「市民憲章」は昭和45(1970)年12月23日に制定され、翌年の昭和46(1971)年3月1日に公表されました。この憲章の理念を広めて、市民への理解を進めるために、同年12月24日に市民憲章推進協議会が結成されました。
 協議会では、市民憲章に基づいた活動を充実させようと、昭和54(1979)年6月30日の総会で、毎年3月1日を市民憲章推進の日に決めたということです。
 私の記憶では、この日に因んだ行事として、広報車で宣伝したり、絵葉書や栞を配布していたように思いますが、最近では、そんな活動も目にしなくなってしまいました。
  写真は、市役所駐車場の隅にある市民憲章の碑です。私は、この市民憲章の何となくノンビリした緩い感じが嫌いではないものですから、近頃の影の薄さに、ちょっと残念な気持ちです。

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