2012年12月31日月曜日

来年の干支は巳です。

  平成24(2014)年ももうすぐ終わりです。干支も辰から巳に替わります。巳といえば蛇ですね。佐倉市で蛇というと思いだすのは井野の辻切りと大蛇町(おおじゃまち)という地名でしょうか。井野の辻切りについては、以前に紹介していますので、今回は大蛇町のことで私が聞いた事をお知らせします。
 写真のレトロな感じの郵便局のある大蛇町は、かつて大社村と書いたそうですが、出雲大社と同じような名前では恐れ多いので大蛇村に改めたという話と、谷津田の入り組んだ土地から小千谷(小地谷?おじや)という地名にちなんでいるという話を聞きました。そんなわけで、どちらにしても大きな蛇とは関係のない地名のようです。ところで、佐倉市の地図を見ますと、大蛇町が2か所あります。これは、佐倉城が造営され、城下町が整備された際に大蛇村が南北に分断されてしまい、その名残が現在まで残っているということだそうです。
 最後になりましたが、来年は細くても長く幸せの続く年になりますように願っております。皆様、よいお年をお迎えください。
 

2012年12月24日月曜日

門松カード

  クリスマスが終わると、一気にお正月気分に突入しますね。私が小学生の頃、冬休みは12月25日から始まりました。通知表を持ち帰る暗い気分よりも、これから始まる冬休みとお正月にもらえるお年玉が楽しみで、気分はワクワクしていました。
 さて、年末の大掃除を手伝いながら、家の玄関にしめ飾りを取り付けるのも子供の仕事でした。その頃は、しめ飾りを自動車の先端に付けて走っている光景も普通でしたし、私も自転車にザリガニのような海老の模型が付いた、小さなしめ飾りを付けたものでした。
 さて、佐倉市では、昭和57(1982)年の暮れから町内会を通じて、門松カードというものを配り始めました。私の家でも、それからはしめ飾りを買わずに、これだけですますようになりました。門松カードは、緑の保護という理由で始まったそうですが、紙資源の保護とITの発展から、現在は市のホームページから印刷するか、市の施設で配布ということになっています。
 

2012年12月16日日曜日

青雲それは…

  「青雲」と聞いて思い出すのは、ギプスを付けて厳しい練習に励んだ野球少年でしょうか、あるいは、お線香を持って墓参りに行く丁稚奉公の少年でしょうか。私は、この言葉を耳にするたびに、気恥ずかしい少年時代を思い起こすと同時に、何故か、坂の上の雲を思い出して、もう少し頑張ってみようかなという気持ちになります。
  佐倉市の南部地区にある市立弥富小学校には、「青雲の志」の碑があります。この碑は、弥富小学校新校舎建設1周年を記念したもので、昭和59(1984)年12月6日に除幕式が行われたそうです。写真では分かり難いでしょうが、左の端に小鳥の像があります。作者は市制30周年記念の野鳥の像の作者の山田光造氏です。「ハイタカ」という鷹の像だそうですが、ずいぶんと可愛らしいです。
  ところで、弥富小学校は、平成20(2008)年4月から小規模特認校として、市内全域から児童を募集しています。児童数が少ないことから、きめ細かい指導ができるというのが特色だそうです。きっと、気力あふれる青雲の志を持った児童が入学してくれることでしょう。そして、いつか日本の将来を担ってくれる素晴らしい人物になってくれることを期待しています。
 

2012年12月9日日曜日

翁の像

  佐倉市民体育館の前に恰幅のよい小父さんの像が建っています。台座に名前が付けられているのですが、達筆でよく分からないという人もいると思います。この像は「西村勝三翁像」です。翁とありますけど、油の乗った中年という感じですね。
 さて、体育館前にありますが、西村勝三氏は体育との関係はないようで、西村氏の業績を記した碑によれば、明治初期に製靴業と煉瓦製造業で活躍した人物ということです。 
 この説明を読んだ後に、改めて像を見ますと、やはり足もとの靴に注目してしまいます。  何やらウェスタンブーツにも似ているような、洒落た靴を履いています。
 ところで、このブロンズ像を制作した彫刻家は「久保 浩(こう)」氏ですが、久保氏の作品は、JR佐倉駅北側の彫刻通りや京成ユーカリが丘北口にも設置されています。
追伸:この場所に像が建てられた理由ですが、この付近に佐倉藩時代の演武場があったのですが、その跡地に士族授産の事業として「相済社(そうさいしゃ)」が製靴工場を経営していました。勝三氏はその経営に協力していたということです。 

2012年12月2日日曜日

循環バス

  佐倉市に循環バスが走っています。地方都市で市内各施設を巡るコミュニティバスの事だと思っていましたが、思い違いでした。佐倉市の循環バスは、京成佐倉駅を起点に、駅の北側の内郷(うちごう)地区と市役所の間を循環するものでした。
  聞いたところでは、民営バスの運行が止まり、交通不便地域となってしまったので、その解消のために運行されているということです。料金は一律100円で、内郷地区を回るコースと風車のある「ふるさと広場」まで行くコースがあります。
  この循環バスが運行を開始したのは、平成14(2002)年12月2日でした。1年間の試験期間を経て翌年から本格運行となったそうです。ところで、最初のバスはマイクロバスに循環バスと書かれただけの味気ないデザインでしたが、平成20(2008)年12月から花菖蒲の絵柄がつき、明るく親しみやすいバスになったと思います。