2012年4月29日日曜日

SAKURA ROSE

  佐倉草ぶえの丘にバラ園が開設されたのは、平成18(2006)年4月29日のことでした。
 もともと、このバラ園は下志津でNPO法人が運営していたようですが、事情があって草ぶえの丘内に転居してきたという噂です。バラ園が開設される前には、花の咲く木や果実のなる木の見本園がありましたが、どちらかといえば地味な感じでしたから、バラ園に整備された方が良かったように思いますが、出発地である学童農園からはどんどん遠ざかっていくような気もしますね。
 さて、バラ園では、原種のバラや現代の品種改良されたバラよりも何世代か前の原種に近い貴重なバラを大切に育てているそうで、これら質素で可憐なバラ達の多くは5月から6月に花の見頃を迎えるということです。
 草ぶえの丘までは、京成佐倉駅北口から市の循環バス(100円)がありますが、本数は多くないので注意が必要です。ちなみに草ぶえの丘の入園料は大人400円、小・中学生300円、3歳以上の幼児は150円です。

2012年4月22日日曜日

梅ちゃんの医学専門学校

  平成24(2012)年4月から始まりましたNHKの連続テレビ小説で、主人公の梅子が受験した城南女子医学専門学校の受験会場の外観に使用されていたのは、千葉県立佐倉高等学校の記念館でした。
  この建物は、明治43(1910)年4月から昭和49(1974)年9月頃まで教室として使用されていましたが、その後は記念館とされ、平成17(2005)年7月12日には国登録有形文化財となりました。
 記念館といっても、未だに現役の校舎として使用されていますので、特別公開日以外は中に入ることはできません。県民の日ぐらいは公開してもらいたいと思いますが、残念です。
  さて、100年程前の建物ですから、過去にも何度か修復されていますが、平成21(2009)年8月から平成22(2010)年3月にかけても基礎部や床の改修工事が行われました。その際に、建物全体の塗装を建設当時のオリジナルの色で再現したということです。
 写真は知人から頂いたものですが、記念館になる前の昭和48(1973)年頃だそうです。玄関に付けられていた三角屋根は、翌年の記念館改修工事の際に除かれたようです。
 佐倉高等学校記念館へは、京成佐倉駅から徒歩10分程ですが、駅から白銀ニュータウン行きのバスに乗って行くこともできます。

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2012年4月15日日曜日

佐藤泰然氏とチューリップまつり

 佐倉では、毎年4月半ばにチューリップまつりが開催されます。昨年からチューリップフェスタと改称したせいか、第〇回とつけていませんが、平成元(1989)年から始まったので今年は24回目にあたります。
  このチューリップまつり開催の経緯は、佐倉藩主堀田正睦(まさよし)公が佐藤泰然(たいぜん)氏を招いて藩内に蘭医学の塾と病院を兼ねる順天堂を開いたということから、佐倉とオランダを関係付け、さらにオランダといえばチューリップということで、イベントを立ち上げたということのようです。
  ところで、佐藤泰然氏には本町の佐倉順天堂記念館でお会いすることができます。写真の胸像は、泰然氏の偉業を後世に伝えようと、市民による「佐藤泰然先生顕彰会」が募金を集めて設置したものだそうです。順天堂から輩出した5人のレリーフも合わせて設置されました。昭和61(1986)年4月10日の除幕式には、駐日オランダ公使も出席され、順天堂記念館の前庭には日蘭友好の記念碑も一緒に設置されています。

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2012年4月8日日曜日

城南堤の碑

  この季節は、市内を歩くと本当に沢山の桜の花に遭遇します。市内で花見の名所として知られている所には、城址公園や上座総合公園などがありますが、それ以外でもあちらこちらの公園や道路沿いの桜並木などとても美しい風景に巡り会えます。なかでも、最近のお勧めは高崎川沿いの桜並木でしょうか。河川改修で整備された歩道を散歩しながら川面に映る桜の花を眺めるのはとても気持ちがいいものです。
 さて、市内にこんなに多くの桜の木が植えられているのは、昔から色々な団体が植樹をしてくれているからだそうです。
 写真の「城南堤」の碑は、昭和56(1981)年に佐倉ロータリークラブが創立10周年を記念して城南堤に桜を植樹した時の記念碑だそうです。未来の子供たちのために、美しい佐倉の桜を引き継いでいきたいものですね。

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2012年4月1日日曜日

サクラの市章

  写真は市役所1号館ロビーの天井に描かれた市章です。
 市役所の印刷物や市立美術館などの公共施設やマンホールの蓋などあちらこちらで見かけます。
  佐倉(サクラ)市だから桜の花びらを象ったのだろうと思っていましたが、実は市の歴史と結びついた由緒あるものだそうです。
 もとは、佐倉藩が出陣の時に使用した紋だそうで、馬のクツワにつける環を組み合わせて図案化しているということです。
 そう言われれば、単なる桜の花びらの形とは違いますね。
 市章にするにあたり、心を引き締めて市の建設発展に進む強い意志と平和でうららかな心意気を表すという説明がついたそうです。そういう気持ちで見ると、ちょっとイイ感じのデザインですね。
  この紋が市章として制定されたのは、市制施行の翌年、昭和30(1955)年4月1日のことだそうです。

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