2011年3月26日土曜日

震災の被害

 この度の東北地方太平洋沖大地震により被災された方々に心からお見舞い申し上げます。一日でも早く復興が進むことを願っています。佐倉市ではこの地震により20軒以上の家屋が全壊し、市内各所で断水が発生しました。 
 大地震というと大正12(1923)年の関東大震災が知られていますが、佐倉市域では灯籠が倒れるなどの被害はあったものの、人身的な被害は多くなかったようで、東京からの避難者を受け入れるために、国鉄佐倉駅舎内に救護所が設けられ、住民総出で衣類や履物など物資の調達や炊き出しをして救援したということです。もっと古い震災の記録に安政2(1855)年10月の大地震があります。この時には佐倉城の一の門が大破した他、城下の家々にも倒壊の被害があったようです。また麻賀多神社の石垣や石灯籠が壊れたという記録もあるようです。
  写真は市役所の裏手にある愛宕神社の石灯籠です。今回の地震で宝珠が落ちてしまいました。さらに神社入口近くの石灯籠の一つは倒壊してしまいました。ちなみに、麻賀多神社の石灯籠も今回の地震で一つは宝珠が落ち、一つは上下でずれてしまったそうです。神社やお寺にお参りの時に地震に遭遇した際には、呉々も石造物に近づかないようにご注意ください。

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2011年3月19日土曜日

市制施行の記念碑

 新町あたりの市街地には、佐倉城の城下町時代の町名を刻んだ記念碑が建っています。これは佐倉市制施行30周年を記念して昭和59(1984)年3月に建てられたもので、上部には町名ごとに種類の違う野鳥のブロンズ像が飾られています。写真は新町通りの千葉銀行の前に建つ上町(かみちょう)の碑でキジバトが留まっています。 この他にも10種類の町名の記念碑が建てられているのですが、ツバメなど可愛らしい姿の像には、姿が見えなくなってしまったものがあります。どこか遠い国へ飛び去ってしまったのでしょう。
  市制施行の記念碑は他にも、京成佐倉駅南側のNTT東日本のビルの入り口近くに加入電話4万台突破記念と併せて市制30周年記念の石像(ここにも野鳥が留まっています)があったり、ふるさと広場近くの龍神橋のたもとには市制20周年記念の吉川英治の歌碑があったりします。

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2011年3月5日土曜日

カッパくんとさくらちゃん

 写真は上座総合公園内の建物のシャッターに描かれていた「カッパくん」と「さくらちゃん」です。
彼らが誕生したのは、今から四半世紀も前のことで、昭和59(1984)年から始まった佐倉市の第二次基本構想を分かりやすく説明するための16ミリアニメーション映画に登場したキャラクターでした。
 佐倉といえば印旛沼のほとりですから、「カッパくん」は沼の化身かと思っていましたが、未来から来たカッパ型ロボットということのようです。
 20分程の映画の内容は、「カッパくん」が作った万能コンピューターの「ソナ21」で、「さくらちゃん」の一家に21世紀の佐倉市を紹介するというものでした。
 平成の初め頃までは、佐倉市の発行するパンフレット類で彼らの姿を目にすることがあったのですが、最近は見かけなくなってしまいました。おそらく、思い描いていた未来と現実の違いにいたたまれず、姿を隠してしまったのでしょう。

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