2011年7月30日土曜日

省エネルギー宣言都市

 今年(2011年)の夏は、日本中に省エネの嵐が吹き荒れていますが、今から30年程前にも省エネブームがありました。
 現在の省エネの主役は電気ですが、当時は石油でした。1970年代にアラブやイランなどの産油国が世界経済に影響を与えたオイルショックの教訓から、昭和52(1977)年から毎年2月が「省エネルギー月間」とされると、省エネは市民運動に発展していきました。
 さて、そんな時代を背景にして、佐倉市は昭和55(1980)年6月26日に、省エネルギー都市宣言を行いました。
  省エネ宣言都市の広告塔が、駅前など市内数カ所に建てられましたが、世間がバブル景気に浮かれている頃でしょうか、いつの間にか撤去されてしまったようです。
 写真は、京成線臼井駅北口前ロータリーに残された省エネ宣言都市の広告塔です。東京電力から寄贈されている所に、何だか時代の巡り合わせを感じてしまいます。

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2011年7月24日日曜日

佐倉市岩名球場

  夏休み中は、高校野球やオールスター戦など、野球観戦をする機会が増えますでしょうか。
  佐倉で「野球」といえば、「長嶋茂雄」氏の名前がすぐに連想されます。
 写真は、長嶋氏の直筆をもとに作成された岩名運動公園第一野球場入口にある名板で、長嶋氏のサインもあります。
 野球場は、昭和56(1981)年8月から建設が始められ、昭和57(1982)年6月12に落成式が開催されました。
 私の小・中学校時代は、川上監督による巨人軍V9時代とも重なり、長嶋選手は王選手と並んで少年達の憧れの的でした。
  さて、佐倉市(臼井)出身のスーパーヒーロー長嶋選手は、平成14(2002)年5月20日に名誉市民になられました。以前は、市内で長嶋氏の写真展などが開催される事も多かったのですが、御自身が療養中のせいでしょうか、最近は、氏の名前を目にする機会も減ってしまったようで、とても残念です。
 

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2011年7月17日日曜日

縁結びはタヌキ

 根郷公民館の駐車場の片隅に親子タヌキの像があります。
 平成5(1993)年に現在の公民館に改築される以前は、公民館の玄関脇に建っていましたので、根郷小通学の折に目にしていましたが、その頃は、この親子タヌキの像に縁結びの噂があることは知りませんでした。 
 この像は、昭和4(1929)年に、表町に住んでいた方が、根郷町役場に寄贈したものだそうです。当時の町役場は現在の「根郷」バス停の所にありました。昭和29(1954)年3月に合併して佐倉市になって暫くの後、役場の建物は公民館に転用されました。昭和45(1970)年7月に根郷小学校の向かいに公民館が移設されると、親子タヌキの像も一緒に移設されて来たのですが、ここで公民館職員が何人も良縁に恵まれたことから、どうやらタヌキの御利益ではないかと噂になったようです。
 婚活を考えているようでしたら、根郷公民館に出かけてタヌキのお腹をさすってみてはいかがでしょうか、いい出会いがあるかも知れませんよ。
 根郷公民館は、ちばグリーンバス「根郷小学校」バス停から徒歩2分ぐらいです。 

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2011年7月10日日曜日

順天堂前の和風電話ボックス

 江戸時代にタイムスリップした脳外科医が、時の運行に抗いながら最先端の医療を施すというドラマが人気を得ていました。
 ドラマではなく史実として、幕末の日本で最先端医療であったオランダ医学の塾兼診療所として「佐倉順天堂」は有名だったそうです。現在は残された建物を活用して記念館になっていますが、その隣では縁の方が今も佐倉順天堂医院を開院されています。
  写真は、記念館の入口付近で順天堂医院の脇にある電話ボックスです。もともと一般的な電話ボックスがあった場所ですが、佐倉順天堂(記念館)の建物を修復、保存する際に、周囲の景観とマッチするようにと、電話局が屋根の形状や色合いを変えてくれたそうです。
  このような景観配慮型の電話ボックスは、市内の他にも設置されていましたが、携帯電話の普及からでしょうか、今では撤去されてしまったところが多いようです。この和風電話ボックスが設置されたのは昭和58(1983)年8月のことでした。

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2011年7月3日日曜日

佐倉の坂

  「佐倉散策~佐倉の坂~」という案内板をよく見ますと、下の方に「この図は総州佐倉御城府内之図より引用しています」と書かれています。
 この「総州佐倉御城府内之図」というのは、元禄14(1701)年から享保8(1723)年まで佐倉藩主であった稲葉氏に仕えた渡辺善右衛門守由氏が作成した城下の絵図ということです。この絵図は、測量図のような正確なものではなく、「古今佐倉真佐子(ここんさくらまさご)」という城下の思い出話を綴った冊子の理解を助けるための付録のような存在だそうです。
 この絵図では、坂道は道筋に横線を入れてハシゴ状に表していますが、その数は40ヶ所以上にもなるようです。
 絵図にあっても現在は消えてしまった坂道も多くあります。絵図を見ながら300年前の佐倉の坂に思いをはせるのも楽しいでしょうか。ちなみに「総州佐倉御城府内之図」は市役所で複製画を1枚300円で販売しています。

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