2011年4月29日金曜日

六崎大踏切の歩道橋

 貨車の入れ替え用の線路が多くて、遮断機がなかなか上がらない通称「六崎大踏切」の上を通る「六崎歩道橋」が開通したのは、昭和55(1980)年3月末でした。
 以前に掲載しましたように、残されていた階段部分側面の塗装が行われて外観がきれいになりました。
 この歩道橋は、全長約100メートル、JRの軌道上の直線部分は約50メートル、前後の階段部分はそれぞれ25メートル、軌道からの高さは6メートルあります。
 今回は階段側面の塗装と併せて直線部分の補修も行われました。煉瓦状のタイルがところどころ剥がれてるのが目につきましたが、紅いマットのようなもので覆われて見た目もきれいで歩きやすくなりました。 
 化粧直しをされた歩道橋を歩くとやっぱり気分も明るくなります。ただ、階段部分が補修されないまま残されてしまったのは残念です。

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2011年4月23日土曜日

志津小学校の二宮金次郎像

 二宮金次郎は相模国(神奈川県)の生まれで、農村復興に努めた人として、中高年なら知らない人はいないと思います。
 薪を背負って歩きながら本を読む姿の金次郎の像は、勤労と勉学の象徴として小学校に建てられていることが多いという話を聞きます。 佐倉でも佐倉小学校と志津小学校で校門の近くに建てられているを見かけました。
 写真は志津小学校の金次郎像です。少しデフォルメされていてアニメキャラクターのような印象で親しみがもてます。
 現在は、二宮金次郎の像を新しく建てる話は聞かないようです。その理由は、歩きながら本を読むのは交通安全上好ましくないからということだそうです。
  ところで、金次郎は佐倉には来ていないようですが、印旛沼の治水と干拓の計画を立案するために印西市まで視察に来たことや成田山にこもったという記録が残っているようです。

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2011年4月17日日曜日

佐倉と大相撲

 八百長問題で揺れている大相撲ですが、佐倉と大相撲との関係は、新町出身の関取がいたり、六崎の奉納相撲があったりしますが、やはり有名なのは、江戸時代の相撲取り「雷電為右衛門」でしょうか。
 雷電為右衛門は、引退するまでの35場所、総取組数285で勝ち254、負け10、引分け2、預かり14、無勝負5、休み30の成績を残し、最強の力士という評判もあるようです。雷電のお墓は臼井にあります。それは、雷電の奥さん「八重(前名おはん)」さんが、臼井上宿の「天狗茶屋」という甘酒茶屋のひとり娘だったそうで、八重さんの生家の菩提寺(浄行寺)に一緒に眠っているそうです。
 写真は、臼井のすみれ保育園前に建っている顕彰碑です。これは佐倉・雷電顕彰会が募金を集めて建てたもので、153年目の命日にあたる昭和53(1978)年2月11日に除幕式を行ったそうです。碑には等身大(1.97m)の肖像と佐久間象山の筆による「天下第一流力士雷電之碑」の文字が刻まれています。
 なお、お墓のある浄行寺は廃寺になり、現在は妙覚寺に引き継がれているそうです。

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2011年4月10日日曜日

佐倉の水道

  東日本大震災で佐倉の水道も被害を受け、断水戸数は20834戸と県民だよりに掲載されていました。私の家では飲料水を多少備蓄していましたが、いつ断水が復旧するのか不安なので、小学校にもらい水に行きました。
  水道が生活基盤として重要であることを考える時に思い起こしますのは、佐倉市の水道の起源となった私営水道のことです。聞いた話ですが、弥勒町の大川徳治氏が近所の井戸に人が落ちた事件をきっかけに、危険な井戸をなくそうと考え、独力で水道管を敷設して、大正13(1924)年から送水を始めたのが最初だそうです。昭和2(1927)年12月には国の認可を得た私営水道となり、昭和31(1956)年11月に発足した市営水道に移管された時の給水戸数は1千戸ほどだったそうです。ちなみに同年10月の佐倉市の世帯数は7048ということです。
  写真は大川徳治氏が創立した「大川水道」さんの倉庫?です。現在は廃業してしまったようで、この場所には分譲住宅が何棟か建てられています。

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2011年4月2日土曜日

白銀小学校のヤギ

 白銀小学校では白い山羊が飼われています。名前はバニラだそうです。以前はミルクという茶色の山羊もいたのですが、昨年のお正月過ぎに死んでしまったそうで、今は1頭になってしまいました。心なしか少し淋しそうに見えます。
 思い起こしますと、私が通園していた佐倉幼稚園にも1頭の白山羊が飼われていました。昭和41(1966)年のことですが、園舎の裏手の一段低くなった空き地で草を食んでいた姿を覚えています。
  同じくらいの頃だと思いますが、佐倉中学校には羊が飼われていました。現在は美術棟か給食室になっているあたりに、木の柵で囲まれたわずかばかりの空き地があり、羊が2~3頭いたように思います。聞くところよれば、晩春には羊毛の刈り込みが行われていたそうです。          
  自分の家では飼うことのできないような動物を間近で見られたことは、良い思い出になりました。

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