2011年6月25日土曜日

上の街(うえのまち)

  佐倉城の城下町であった旧市街は坂の多い街です。これは佐倉城の築城にあたり、台地と台地の間に入り組んだ谷津や河川を利用したことが理由ということで、城下町も台地の上に整備されていました。
 街中の坂道を歩いていると「佐倉散策~佐倉の坂~」という案内板を目にすることがあります。それを見ると今歩いている坂が、江戸時代の城下町の絵図に書かれていた坂道であることが分かります。
 さて、近代になって、かつての城下町に官公署が設置されました。また買い物をするのにも周辺に住んでいる人々は必ず坂を上がって用を足しに行かなければなりませんでした。
 だからでしょうか、私の住んでいた六崎では新町辺りを「ウエノマチ」と呼んでいました。たぶん坂の上の街という意味だと思います。
 写真は新町の交差点付近にある看板です。話し言葉の「上の街」を文字で書いたものを初めて見ました。
 余計なお世話ですが、「国立歴史民族博物館」は「国立歴史民俗博物館」です。ちなみに「国立民族学博物館」というのが大阪府吹田市の万博記念公園内にあります。 

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