2014年8月3日日曜日

消された記憶

前回、国立歴史民俗博物館附属の「暮らしの植物苑」で、サクラオグルマを栽培して展示をしていることを紹介したところですが、久し振りに「暮らしの植物苑」を訪れますと、写真の看板が見当たりません。私の記憶違いで他の場所だったのかと思い、苑内をあちらこちら探したのですが、見つけられません。職員らしき方にサクラオグルマの展示場所についてお聞きしますと、違う花をサクラオグルマとして紹介していた疑いがあるので、看板は外してしまったということでしたが、花そのものは、以前の場所で今も生育しているということでした。
 そこで、もう一度記憶していた場所に行ってみますと、既に花期を過ぎてしまってはいたものの、見覚えのある黄色い可愛らしい花がいくつか咲き残っていました。
 サクラオグルマとは違う花と言われて、そういう目で見ると、確かに立派すぎるというか、逞しい感じがしてきました。
 是非、もう一度サクラオグルマの展示を復活していただきたいと思います。看板と一緒に人々の記憶からもサクラオグルマを消さないでほしいと願っています。

2014年7月13日日曜日

サクラオグルマ

「サクラオグルマ」という名前をご存知でしょうか。佐倉に住んでいらっしゃる方でしたら、市の広報紙に読書感想文集や移動図書館車の名前として時々登場するので、見覚えのあることでしょう。
 実物は、7月上旬から湿地で可愛らしい黄色い花を咲かせるキク科の多年生植物です。以前は、市内各所で見られたようですが、最近はめっきり姿を減らしてしまったそうです。
 国立歴史民俗博物館附属の「くらしの植物苑」では、8年ほど前からサクラオグルマを栽培して展示をしています。この花は人々の暮らしの役に立つ植物ではないはずですけど、絶滅危惧種として心配してくれているのでしょう。立派で見事な花を咲かせているサクラオグルマを見るのは、愛好家としてとても喜ばしく思います。今後は、好事家のために苗の販売や栽培方法の講義をしてほしいものです。
 ところで、全くの余談ですが、昭和40(1970)年台半ばのテレビドラマに「柔道〇直線」というものがありました。主人公が使う技は「地獄車」をはじめ「〇〇グルマ」という名称でした。その中で、対戦相手から空中に放り投げられても、体を海老のように曲げて回転し、ブーメランのように戻ってくる「エビグルマ」という技がありました。子供心にもこれは無理だろうと思ったのを覚えています。
 追伸:この花の発見者は、与世里盛春(よせざと もりはる)氏で、沖縄県出身の植物研究家だそうです。佐倉でこの花を発見して頂いたことに心から感謝いたします。
 

2014年3月29日土曜日

祝還暦

  今年、佐倉市は市制施行60周年だそうです。人間でいえば還暦です。赤いチャンチャンコを着てお祝いして、今後は隠居入りというところですね。とは言っても、最近は60歳の定年を迎えても退職せず、年金が出るまで働き続けなければならないので、隠居するわけにはいきませんね。
 さて、60年前(1954年)の3月31日に千葉県で12番目の市として発足した佐倉市ですが、市になるには佐倉(さくら)町、臼井(うすい)町、志津(しづ)村、根郷(ねごう)村、和田(わだ)村、弥富(やとみ)村の6町村の合併が必要でした。合併の話は、千葉県からの提案で、最初は志津村でなく、酒々井町が入っていました。しかし、酒々井町は町民の間で合併先を佐倉にするか成田にするか意見が割れてしまい、話がまとまらなかったということです。平成の合併の時もこんな話を聞きましたね。
 さて、6町村が合併した理由は、佐倉町を中心に社会的、経済的、文化的に共同の生活圏を形成しており、佐倉町、臼井町、志津村は高燥な土地で、京葉諸都市への通勤者に適当な住宅地を供給できること、根郷村、和田村、弥富村は、米・麦は勿論、新鮮な野菜や牛乳を供給できるので、合併して総合的な計画のもと衛星都市として発展を図ることだったそうです。まさに、地産地消ですね。
 さて、写真は市制施行とは関係ありません。現在の市役所が建設された頃のものだそうで、♪ズンズン京成♪って聞こえてきそうです。
 

2014年1月3日金曜日

明けましておめでとうござうます

 私事ですが、馬にまつわる1番の思い出は、40年以上も前の事です。友人の家に遊びに行く途中で、農業協同組合の倉庫のある通りに差し掛かった時のことでした。
 パカパカと調子の良い音が聞こえて来る方向に目を向けると、巨大な馬が荷車を引いて、こちらに向かって歩いて来るところでした。
 私の身長は馬の脛ぐらいだったでしょうか、白地に茶の混じった毛色のその馬は、荷物運搬の仕事をしていたようです。既に物流はトラックが担っている時代でしたから、荷車を引いた馬を見たのは、この1回限りのことでしたが、それにしても大きく立派な馬でした。世紀末救世主伝説の漫画に出てくる黒い馬の肉付きの良い太い足を見ると、あの時に見た巨大な蹄を思い出します。
 ところで、添付の写真は、思い出とは全く関係がないのですけど、馬繋がりということで、馬渡地区にあるライディングクラブの入口に立っている白馬です。
 以前はクラブの看板も脇に立っていたのですが、現在はこの馬だけが国道51号脇にポツンと寂しげに佇んでいます。
 ちなみに、ライディングクラブは、現在も営業されているようです。

2013年7月14日日曜日

耳をひらけば

 夏場に市内の商店街を歩いていると、軒先に涼しげなガラスの風鈴がぶら下がっている光景に出合います。よく見ると、あちらこちらの商店の軒先にもぶら下がっています。
 これは、商工会議所青年部の方々が、街起こしの事業の一つとして取り組んでいる事業で、「風鈴フェスタ・風リング」というのだそうです。ガラスの風鈴の絵付けは市内の小学生が行っています。
 この風鈴での街起こしは、そもそも市立美術館が平成14(2002)年に開催した「音」をテーマにした美術プロジェクトにルーツがあるそうです。
 美術館がまいた種が、こういう形で花開いたということでしょうか。芸術を通じて、人と人が繋がっていくのは良いことですね。文化の街・佐倉って気がしますね。

追伸:誠に恐縮ですが、作者体調不良となり、暫く 休筆させていただきます。
 

2013年7月7日日曜日

おはやし館

 平成3(1991)年7月、新町に新設された「おはやし館」は、郷土の伝統文化や物産等の紹介や観光情報の提供を行うほか、2階には休憩室があり、市民の憩いの場として利用されることが期待された施設でした。
とはいうものの、2階には上がり難い雰囲気ですし、お茶やコーヒーが飲めるわけでもありませんので、休憩施設という感じはしませんね。
 それよりも佐倉囃子保存会の練習施設のような感じですね。どうせなら、おはやし館の前を通れば佐倉囃子の音が聞こえるような、楽しい雰囲気をかもしてほしいものです。
  写真のおはやし館は、ちょっと前のもので、現在は、入口の脇に2体の山車人形が飾られています。
  館前の広場では、毎週水曜日に朝市(午前中)が開催されています。私が行った時には、野菜や総菜のほか手作りの和菓子も販売されていました。
 

2013年6月30日日曜日

冨士は三国一の山

 明日7月1日は富士山の山開きだそうで、世界文化遺産に登録されてから初めての御来光を見に沢山の人出が見込まれるとテレビのアナウンサーが話していました。
 日本人は昔から富士山が大好きで、信仰の対象としてきたということです。富士山の信仰というと浅間神社が有名ですね。佐倉市内でも小高い所には浅間様がお祭りされています。でも、近所の浅間様にお参りするより、やっぱり富士山本体にお参りしたいということで、江戸時代に流行したのが「富士講」だそうです。みんなでお金を積み立てて、代表者が麓から山頂まで命がけで登山して、ご利益を頂いたそうです。
 写真は、臼井城址公園の側にある富士講の碑です。臼井からも代表者がみんなのご利益を願って、長い道中を歩いていったことでしょう。
 ところで、石碑の上部に2つの円形が描かれていますね。私は桃の実だと思っていましたが、太陽と月なんだそうです。そういえば、左側の円には欠けた所が見えますね。