佐倉市最後の分校は、昭和52(1977)年3月31日に廃校となった青菅(あおすげ)分校です。
この分校の歴史は古く、開校は明治38(1905)年のことです。この年は、前年の2月に開戦した日露戦争が5月の日本海海戦を経て、9月にポーツマス条約を締結した年でした。
おそらく、分教場でも日本の勝利を祝賀した行事が開催されたことでしょう。
分教場から志津小学校の分校となり72年の歴史を閉じて廃校になってから間もなく36年になりますが、今も当時の校舎が残されているのは、地元の方が大切にしているからでしょう。
校庭を囲むように植えられている桜が、今年ももうすぐ咲き始めます。
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