2013年3月10日日曜日

68年目の春

  昭和20(1945)年3月10日の午前0時過ぎから約2時間半の空襲で、東京の墨田区、江東区、台東区は焼失し、約10万人の人々が亡くなられました。
 私の母は、当時、亀戸に住んでおり妹の手を引いて逃げ惑ったという話を聞いたことがあります。母の存命中に詳しく聞いておけばよかった思いますが、覆水盆に返らずです。
 この日、佐倉市内にも焼夷弾が落とされ、根郷国民学校(現在の根郷小学校)の太田分教場の校舎が全焼してしまったそうです。
  太田分教場は、大正4(1915)年に設立され、昭和22(1947)年に太田分校に改称した後、昭和45(1970)年に廃止されましたが、その跡地には、写真のとおり今も校門の柱が残されています。
  現地へ足を運びますと、どうしてこんな所に焼夷弾を落としたのかと疑問に思いますが、それが戦争というものなのでしょうか。