修静居跡
修静居は「しゅうせいきょ」と読みます。武家屋敷の隣に建っているこの碑は、かつて、明治の著名人らと一緒に活躍した西村茂樹「にしむら しげき」氏が執筆活動を行った書斎「修静居」の跡ということで、昭和54(1979)年5月9日に記念碑の除幕式が行われました。
西村氏は、佐倉藩出身者で西洋兵法や砲術に詳しく、藩主堀田正睦公の外交交渉を助けたということだそうです。
また、道徳教育に熱心で福沢諭吉氏らと明治6(1873)年に明六社を創設し、明治9(1876)年には東京修身学社(後の日本弘道会)を設立し、伝統的日本道徳論を広めたということです。
ところで、この碑が建っている場所は、本当は「修静居」跡ではなく、実際は向かい側にあったという話です。
ちなみに、市民体育館前に建っている「西村勝三」氏は茂樹氏の実弟だそうです。
西村氏は、佐倉藩出身者で西洋兵法や砲術に詳しく、藩主堀田正睦公の外交交渉を助けたということだそうです。
また、道徳教育に熱心で福沢諭吉氏らと明治6(1873)年に明六社を創設し、明治9(1876)年には東京修身学社(後の日本弘道会)を設立し、伝統的日本道徳論を広めたということです。
ところで、この碑が建っている場所は、本当は「修静居」跡ではなく、実際は向かい側にあったという話です。
ちなみに、市民体育館前に建っている「西村勝三」氏は茂樹氏の実弟だそうです。
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