2011年2月27日日曜日

浅井 忠氏の像

 佐倉と縁のある人物に、日本近代洋画の先駆者として明治時代に活躍した浅井 忠(あさい ちゅう)氏がいます。
 浅井氏は、安政3(1856)年に江戸の佐倉藩邸で生まれましたが、父親が亡くなったことから、国元の佐倉に戻り、暫くの間、将門町に住んでいました。その頃、黒沼槐山(くろぬま かいざん)氏から日本画を学び、18歳になると、明治政府が設立した工部美術学校でイタリア人画家のフォンタネージ氏から洋画を学び、明治33(1900)年から2年間フランスに留学した後、京都へ移住して、関西美術院などで後進の育成に尽力した人物です。
 写真は、佐倉市立美術館の脇にひっそりと立っている浅井氏の像です。この像はもとは佐倉市役所の敷地にありました。それも「カクレミノ」という木の脇に建てられていました。「かくれみの」は正岡子規氏の紀行文のタイトルでもあります。明治という時代にそれぞれの道で先駆者であった正岡氏と浅井氏は、交友関係にあったそうですから、「カクレミノ」の木は、二人の関係を知る人物によって植えられたような気がしてきます。

ラベル: