電話機
私の家に電話機が来たのは、昭和43(1968)年頃、小学2年生の頃だと思います。学校から帰ると、玄関の靴箱の上に、黒色の電話機が静かに鎮座していました。昨日までテレビの中の存在だった物が、目の前にあるわけで、暫くその姿を眺めていた事を思い出します。
ところで、どうして私の親は電話機を玄関に置いたのでしょうか。電話線の引き込みが短かったのかも知れませんが、聞くところによれば、電話機が普及する前は、近隣の人が借用に来ることがあったので、玄関先に置くことが多かったようです。それで私の親も電話機は玄関に置くものと考えたのでしょう。
さて、佐倉市で電話機が急速に普及したのは、昭和41(1966)年11月に京成佐倉駅前に佐倉電報電話局の新しい局舎が完成し、翌年3月から最新式の自動交換機が稼働し始めたからだそうです。現在はNTT佐倉に変わりましたが、赤と白に塗装された駅前の鉄塔も佐倉のランドマークかも知れませんね。
ところで、どうして私の親は電話機を玄関に置いたのでしょうか。電話線の引き込みが短かったのかも知れませんが、聞くところによれば、電話機が普及する前は、近隣の人が借用に来ることがあったので、玄関先に置くことが多かったようです。それで私の親も電話機は玄関に置くものと考えたのでしょう。
さて、佐倉市で電話機が急速に普及したのは、昭和41(1966)年11月に京成佐倉駅前に佐倉電報電話局の新しい局舎が完成し、翌年3月から最新式の自動交換機が稼働し始めたからだそうです。現在はNTT佐倉に変わりましたが、赤と白に塗装された駅前の鉄塔も佐倉のランドマークかも知れませんね。
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