城址公園の四阿(あずまや)
市内の公園のいくつかには、休憩場所として四阿(あずまや)が建てられています。
城址公園にも、姥が池南側の小高くなった場所に建てられていますが、他の公園のものより、大きく立派に造られています。
私は、城址公園が他の公園より規模が大きく、春には桜の花見、秋には紅葉を楽しむ人々がたくさん来ること、公園内の国立歴史民俗博物館には全国から来客があることから、それなりに立派な四阿を設計したもの思っていましたが、実のところ、市で造ったものではないようで、もともとは、山梨県石和市の「ホテル石庭」の庭園にあったものを、昭和60(1985)年の暮れに、移築したものだそうです。
詳しい経緯は知りませんが、当時の市長「菊間健夫」氏は、顔が広い人物だったようですから、もしかすると、ホテルの都合で取り壊される予定だったものを、それならばということで、頂いたのかも知れませんね。
城址公園にも、姥が池南側の小高くなった場所に建てられていますが、他の公園のものより、大きく立派に造られています。
私は、城址公園が他の公園より規模が大きく、春には桜の花見、秋には紅葉を楽しむ人々がたくさん来ること、公園内の国立歴史民俗博物館には全国から来客があることから、それなりに立派な四阿を設計したもの思っていましたが、実のところ、市で造ったものではないようで、もともとは、山梨県石和市の「ホテル石庭」の庭園にあったものを、昭和60(1985)年の暮れに、移築したものだそうです。
詳しい経緯は知りませんが、当時の市長「菊間健夫」氏は、顔が広い人物だったようですから、もしかすると、ホテルの都合で取り壊される予定だったものを、それならばということで、頂いたのかも知れませんね。
ラベル: 城址公園の四阿(あずまや)
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