倉庫前のバス停
六崎地区にあるバス停の一つに「倉庫前」があります。でも、このバス停の周りを見回しても倉庫は見当たりません。もともとこのバス停は違う場所にあったのですが、バス路線の変更に伴い、バス停が引っ越してきたものです。
このバス停が元もとあった場所は、現在のJAいんば本所あたりで、JAいんばが佐倉市農協だった以前から農協の倉庫が立ち並んでいました。それらの倉庫の前のバス停なので、「倉庫前」という名称になったと思われます。 その後、渋滞の激しかった六崎踏切を迂回して鏑木から六崎までの新道が昭和42年4月に開通すると踏切は閉鎖され、バス路線も新道に移りバス停も現在の場所に引っ越しましたが、なぜか名称は「倉庫前」のままです。
なお、新町に「裁判所入口」というバス停があります。裁判所入口の通りまでは少し距離があるので、奇異に感じる人がいるかも知れません。もともとこのバス停は「東電前」という名称でした。その名のとおり、東京電力の支店の前にバス停があったのですが、支店が廃止になったことに伴い、バス停の名称も変更されました。
東京電力の支店は教安寺の参道の脇にありました。現在は名残をとどめるものは何もありませんが、そのあたりを注意深く見ますと大きめの境界杭があります。もしかすると東京電力当時のものかも知れませんが、深く埋もれているので定かではありません。
このバス停が元もとあった場所は、現在のJAいんば本所あたりで、JAいんばが佐倉市農協だった以前から農協の倉庫が立ち並んでいました。それらの倉庫の前のバス停なので、「倉庫前」という名称になったと思われます。 その後、渋滞の激しかった六崎踏切を迂回して鏑木から六崎までの新道が昭和42年4月に開通すると踏切は閉鎖され、バス路線も新道に移りバス停も現在の場所に引っ越しましたが、なぜか名称は「倉庫前」のままです。
なお、新町に「裁判所入口」というバス停があります。裁判所入口の通りまでは少し距離があるので、奇異に感じる人がいるかも知れません。もともとこのバス停は「東電前」という名称でした。その名のとおり、東京電力の支店の前にバス停があったのですが、支店が廃止になったことに伴い、バス停の名称も変更されました。
東京電力の支店は教安寺の参道の脇にありました。現在は名残をとどめるものは何もありませんが、そのあたりを注意深く見ますと大きめの境界杭があります。もしかすると東京電力当時のものかも知れませんが、深く埋もれているので定かではありません。
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